写真 [ 商品番号:23023000 / 神道史・憲法 ]
新版 国家神道とは何だったのか おすすめ
〜神社新報創刊60周年記念出版

[著者・編者]   葦津珍彦 著・阪本是丸 註
[出版社]   神社新報社
[初版]   昭和62年4月29日

販売価格: (本体価格 1,600円+税)
〔定価: 1,760 円〕
 
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【内容紹介】

昭和61年の神社新報創刊40周年記念事業として発行された葦津珍彦著、阪本是丸註の名著を20年ぶりに神社新報60周年記念事業として装丁・組版を一新。
新たに解題を付け、主要参考文献目録を充実。

【目次】

新版『国家神道とは何だったのか』発刊にあたって (阪本是丸)

序―「国家神道とは何だったのか」の発行にいたる事情(葦津珍彦)

第一部
 一、新しい史論の試み
 二、神道の雄飛から難関への十年
 三、仏教、特に真宗と明治政権
 四、真宗、島地黙雷の進言工作

第二部
 五、勝安房、福沢諭吉の新知識
 六、明治十年前後の神道後退
 七、神道諸流派の動揺
 八、神道人の祭神論争
 九、山田顕義の神社非宗教制

第三部
 十、帝国憲法制定当時の事情
 十一、井上毅の政教分離主義
 十二、神祇官興復運動と神社局
 十三、消極主義の神社局

第四部
 十四、神社局の思想とその批判者
 十五、大正昭和の右翼在野神道
 十六、戦中非常時の国家神道
 十七、国家神道に対する評論
 十八、本史論試みの目的

解題
T「神道人」葦津珍彦と近現代の神社神道 (藤田大誠)
U『国家神道とは何だったのか』と国家神道研究史 (齊藤智朗)

【著者略歴】

明治42年7月、福岡県箱崎生れ。終戦までは社寺工務所の代表として神社建築に携はり、昭和20年、日本が敗戦するや宮川宗徳、吉田茂氏らを援けて神社本庁設立に参加し、占領下の神社活動護持にあたるとともに、神社新報社主筆として筆を揮った。昭和43年、同社を退職して社友となった。平成4年帰幽。

書評
近代日本政教関係史の第一人者である新田均皇學館大学教授、平田国学を中心に近世・近代の宗教史、思想史に造詣の深い遠藤潤國學院大學日本文化研究所助手、神社奉仕の傍ら神社祭式史の研究を精力的におこなってゐる高原光啓甲斐奈神社権禰宜の三氏に、それぞれの視角から本書を書評していただいた。

世俗合理主義を脱した神道とは何か

皇學館大学教授 新田 均

神社新報創刊六十周年記念事業として、葦津珍彦著・阪本是丸註『国家神道とは何だったのか』の新版が刊行された。
 初版からはすでに十九年が経ってゐる。今の日本の出版事情を考へると実に息の長い本である。本書が何故に長寿を保ち、さらに新版まで出ることになったのかと言へば、それは本書の刺戟的な内容が学界や宗教界に大きな影響を与へ続けてきたからに他ならない。
 その点については、本書に新たに付加された二人の若き研究者の解題(藤田大誠「『神道人』葦津珍彦と近現代の神社神道」、齊藤智朗「『国家神道とは何だったのか』と国家神道研究史」)に詳しい。したがって、本書の世間的な意味や評価については、両氏の解題を御覧いただくことにして、拙文においては、少し痴がましいが、本書の私にとっての意味について書きたいと思ふ。
 本書の私にとっての意味は二つある。一つは研究に対する意味である。私が日本の政教関係についての論文を書き始めたのは昭和六十三年のことだが、本書はその前年に出てゐる。振り返ってみると、私の研究は、葦津氏が本書の中で提起した図式、解釈、課題にしたがって、それを吟味したり、精密化したり、発展させたりして来たと言っていい。かういふ言ひ方は故人のお気に召さないかもしれないが、葦津珍彦といふお釈迦様の掌を飛び回ってゐた孫悟空のやうな気がしないでもない。
 「神社非宗教論」に対する浄土真宗の影響。「国家神道」の定義。「宗教弾圧」に対する考へ方。大正昭和期の民間思想運動への注目。国家管理された神社神道に対する低い評価と在野の神国思想に対する共感。まぼろしの「国家神道」像を占領軍に諂った御用文化人が広めたとの指摘。
 最初の拙著『近代政教関係の基礎的研究』(大明堂、平成九年)は、浄土真宗の動きへの注目などを主軸として、「国家神道」といふ用語使用の不適切さをさまざまな角度から論じたものであり、その後の「国家神道」論の系譜の研究は、「国家神道」といふまぼろしの形成過程を学説史といふ観点から追究したものである。さらに、『「現人神」「国家神道」という幻想』(PHP研究所、平成十五年)は、「現人神」といふ観念の形成過程といふ視点を加へて、いっそう包括的に、「国家神道」といふ幻想の発生・発展・定着の過程を論じものだった。
 本書の私にとっての意味の二つ目は、思想や信仰に関するものである。本書において葦津氏は、国家管理時代の神社神道について、「その精神は、全く空白化してしまった無精神な、世俗合理主義で『無気力にして無能』なものであったというのが歴史の真相に近い」と断言してゐる。
 それなら、世俗合理主義を脱した神道とは何か。本書と同時期の『神国の民の心』には「神懸りの神の啓示によって、一大事を決するのが古神道だった」「神の意思のままに信じ、その信によって大事を決するのが神道ではないか」とある。他方で、葦津氏のいふ神憑りを重んじる信仰は、皇室による国民の精神的統合を否定する地方分散的なものでも、現世利益的なものでもない。むしろ、天皇の国平らかなれ、民安かれの祈りを尚ぶところに神道の本質を見、治国平天下の道を神々の啓示に求める。さらに、「天朝そのものへの信と、天朝の勅書への信とは時として異なることがありうる」と構へ、「神典に阿らず、詔勅に阿らず」「師父に対する忠信忠誠によって、師父の言説を修正することもあり得る」と覚悟する。
 科学者と厳正同一の研究手続きを守りつつ、しかし、それが固有する根強い「不信の精神、疑ひの精神」とは不断の緊張的対決関係に立つ(「神道教学についての書簡」)。これが内実ある神道者なのだと葦津氏は言ふ。その言葉は、私が神道や皇室について考へたり、書いたりする時に、いつも眼前にあった。
 ところで、本書の解題を若い研究者が担当したのは、「葦津先生の志や問題意識を継承し、発展させていく意味においても、あえて葦津先生の生前の姿を知らない若手の研究者たちに依頼する方が良い」との阪本是丸氏の考へによるらしい。
 「筆者にとって最も大事なことと思われたのは、自らが『日本人』であり『神道人』であると自任しているのならば、現在にまで微かにも残されている『最後の一線』は何としてでも死守しなければならない、ということである」(藤田氏)。「国家神道が廃止された後の神社神道の将来あるべき姿の追求を、これからの神道人がおこなうべきことを指し示しているのではないだろうか」(齊藤氏)。彼らの解題の末尾に付されたこの言葉を見ると、阪本氏の意図は十分に生かされたと言へさうだ。葦津氏の霊がこれからも彼らを導かれることを願って筆を擱く。

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行間にさまざまな示唆を含んだ史論

國學院大學日本文化研究所助手 遠藤 潤

 本書の主目的は、書名が端的に示すとほり、「国家神道とは何だったのか」、その実像を明らかにする点にある。著者の葦津珍彦については、今回新版の刊行に際して藤田大誠が新たに草した解題に説明されてあるので参看されたい。
 いまから約二十年前、昭和六十二年に本書が刊行された時点までの研究史を回顧するなら、本書が登場したときに当時のいくつかの通説にたいして強い批判性を発揮したことは想像に難くない。本書で葦津が示した論点の少なくない部分は、のちに続く研究者の手で、より多彩な研究に展開されて今日にいたる。その意味で、葦津の論点のうちいくつかについては少なくとも学界では定説化した観もある。ただし、そのためにときに葦津がすでに論じたといふ事実までも忘却される場合があるのは残念なことである。この点でも、この時期に本書が新しい形態で、改めて世に出される意味は小さくない。
 初版から今日までの間にくりひろげられた「国家神道」をめぐる議論を見渡し、その上で本書をあらためて読んだときに、いまだわれわれの目に鮮やかなのは、葦津が概念としての「国家神道」を手放さずにねばり強い議論を展開する点である。
 学術用語としての「国家神道」は、それが意味する内容、あるいは指示する対象について、またその成立時期などをめぐり、現在でも論争の絶えないことばである。
 「国家神道」を、明治初年以来ある種の一貫性を伴って構築されてきた国家のプログラムとする把握に対して、葦津は批判的な視点を持つ。それは、「国家神道」なることばが用語としてもつ歴史的な問題、および「国家神道」の制度的実態や内容の両面へと展開される。葦津は、用語としての「国家神道」は、戦前日本の「神道人」の間では一般的ではなく、昭和二十年の「神道指令」で使用されたことを端緒として普及したと把握する。
 「神道指令」が「国家神道」の語に含意させる内容について葦津は批判的であり、より正確な定義として「明治三十三年に、政府が内務省のなかに神社局(後の神祇院)の官制を立て、社寺局の宗教行政下から公的神社と認めない神道の一部と区別して、宗教行政を改めた時に、決定的に確立したもの」(九頁)とする。この点で、明治初年からの政策に「国家神道」構想を認める論にも批判的である。ただし「ことばがなければ実体は存在しない」との言説批判に傾斜するのではなく、葦津の定義する「国家神道」が成立する以前からの神社・神道をめぐる歴史についても実証的に論じてゐる。
 このやうな葦津の記述には、論争の場に登場して一定の立場あるいは角度からの論を述べることと、一貫した通史的史論を構想すること、の二種の目的が含まれる。
 葦津による「国家神道」の定義は、当時の通説的なとらへ方一般からすれば、時代的にも内容的にも相当に限定的なものであったが、葦津は「国家神道」をより長期のものとして把握する論者とも議論するために、その時期の神道・神社についても論じる。その結果として、本書では、さまざまな立場からの「国家神道」―その成立時期の認定が異なり、含まれる内容も違ふ―が、同じ「国家神道」の語で登場する。一連の国家神道研究史になじみのない一般読者にとって、本書があるいは難しい相貌を見せるとするなら、この点にその原因の一端があるかもしれない。ただし、葦津の論が、「神道指令」の「国家神道」の定義を批判して議論の出発点にしつつ、そこでの「国家神道」の語の意味するところが不正確であり、実際の「国家神道」との齟齬があるとして、正確な「国家神道」理解を示す、との論理的順序にしたがって成立してゐることを最初に確認するならば、さまざまな「国家神道」のうち、葦津の考へる「国家神道」がいづれにあたり、その内容がいかなるものか、読み進めるうちに自然と明らかになるはずである。
 葦津の史論は、具体的に書かれた文章ばかりでなく、その行間にさまざまな示唆を含む。
 論者が今回、書評のために再読した際には、明治初年の問題に強く関心を惹かれた。すなはち、明治初年の政府に対する浄土真宗の影響力を論じた部分に関してである。当時の宣教政策や神社政策に対して、神社・神職よりも、島地黙雷を中心とした浄土真宗など仏教者の方が強い力を及ぼしたとする葦津の論点は、その後、多くの史料的研究を呼び込んだ。葦津が神職と仏教者の間に引いたこの線は、多元的な政治過程を具体的に把握するために有効に機能する。とともに、私はここでの対キリスト教問題の広がりについてさらに触発された。キリスト教をどのやうに処遇するかは、神社関係者と仏教者の両者に共有されてゐた問題であった。それは、国家の独立をいかに把持するか、あるいはそのためにいかなる外交政策を取るべきか、などの当時の問題関心を前提としたものである。いまさら贅言を重ねるまでもないが、幕末維新期の国際関係について検討する際には、国家を基本的枠組として問題が構成されるのが一般的だった。そしてこの時期に為政者ばかりでなく、一般の人々までもが国家と外交についての問題関心を共有した。これを前提として、明治国家の黎明期に、キリスト教対策が不可欠であるとする意識が広く共有され、皇室尊崇や神祇祭祀が焦点として浮上したのである。
 現代の視点からすれば、神道にとって他宗教である点で大きな違ひのないかもしれない仏教とキリスト教ではあるが、幕末維新期の日本の人々には、同じ日本の構成員である日本仏教と、日本にとっての〈他者〉であるキリスト教とは大きく異なる存在だったのではないか。ヨーロッパ諸国とキリスト教を前にしたときに、神道人と仏教者の間には何か共有されたものがあるのではないか。それは、近代国民国家や近代ナショナリズムに対して批判的な論が、ときに等閑視してきたものでもある。
 本書の分節化された記述は、国家神道をめぐる複雑な事態を、安易に単純化せずに理解する糸口を与へる。また、概念についての歴史的・史料的反省は、何を括弧に入れて過去を読み直すか、私たちがあたりまへだとして疑問視しないもの、それをどこまで保留して史実にそくして考へ直すかといふことを、私たち読者に伝へる。概念を歴史的に再検討するには、史料にもとづいて史実を探究することが不可欠であることを、本書は説きつづけてゐる。

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神職が国家神道の実像を学ぶために

甲斐奈神社権禰宜 高原光啓

 この度、神社新報創刊六十周年を記念して葦津珍彦著『国家神道とは何だったのか』が新版として上梓された。言はずとしれた名著であり、今更、本の内容について改めて紹介するまでもなからう。そこで本書の指摘を踏まへつつ、国家神道に関する所感を述べたい。
 筆者を含めて、戦後生まれの神職の中で、国家神道と言はれてそれを現実に理解できる人はどれくらゐゐるのだらうか。
 戦前の神社制度だったとか、他宗や国民を抑圧した(と決めつけられた)イデオロギーだったと言ふやうな知識はあらうが、正直、分かり易いものではない。故に親しみ易いものではなく、遠い過去のもの。肯定も否定も出来るほど事情は知らないが、何とはなしに近寄りがたいもの。そんな程度の認識が多いのではないか。但し一点はっきりしてゐるのは、国家神道はすでに消滅したものといふ事実である。
 しかし、現実には「国家神道」の語句は消えることなく今なほ見かける。例へば新聞記事などによって。特に靖國神社を巡る文脈で目にすることが多い。「靖國神社は国家神道の中心的な存在だった」、「神道に事実上の国教としての地位が与へられ、国家神道が軍国主義と結びつくことで国民を戦争へと総動員した」云々。一概に国家神道と言っても、有する歴史は長く、関係する法令も史料も参考文献も膨大にあるため、その全容はなかなか理解し難いと思はれるが、自明のやうにその語を使用してゐることにまづ違和感を覚える。
 中には、国家神道の復活を警戒する論調さへある。国や地方公共団体が少しでも神道に関はると、国家神道の復活とする反応がある。最近もある政治家が靖國神社を非宗教法人化し、最終的には国家管理にするといふ私見を発表してゐた。それに対して、ただちに「国家神道の復活だ」といふ反応があったと聞く。さうした神社を取り巻く議論が盛んになる中、『国家神道とは何だったのか』が改めて発刊されたことは実に大きな意味を持つと思ふ。再読すると、今もって参考になる示唆に富んでゐることに気づく。
 葦津は、国家神道の本質は「無精神な、世俗合理主義で『無気力にして無能』なものであった」と見なした。それに対しては、さまざまな異論があるかもしれないが、私は真相に迫るものと受け止めた。なぜならば、その本質は現在においても残ってゐて、少なからず影響を与へてゐると思はれるからである。例へば最近の靖國神社見直し論にその一端が見受けられる。国立追悼施設の建設を求める意見も、国家護持論にも、その根底には「無精神な、世俗合理主義」的なものがあると思へてならない。
 さらに、葦津はかうも言ふ。「官僚や権力者は、権力を行使して、以前からすでに実存する『宗教』を助長したり、圧迫する能力はある」と。考へてみると、将来的に神社に対する理不尽な変革を求める圧力が全くないとも言へない。この指摘は説得力を持つ訴へであり、かつ現在にもありうる事柄だとも思ふ。神道人には、さうした悪しき方向への助長や圧迫から神社を守る責務がある。とくに、青年神職はかういふ事態には積極的に尖兵となり、また「神道の弁護士」となって立ち向かふべきではないだらうか。
 さうした折に、必読の書となるのが本書である。まづは国家神道の実情や歴史を学び、氏子崇敬者に説いておくことが必要ではないか。種々の政教関係の問題も、一部の人が関はってゐるから我関せずではなく、身近な問題として受け止める神職でありたい。
 本書解題Tでも、「なぜ近代の心ある在野神道人がこの『無精神な、世俗合理主義』に立ち向かいつつも悉く敗れ去ってしまったのか」と問ひかけてゐるが、現代に生きる神道人は、今なほ漂ふ「無精神な、世俗合理主義」に決然と立ち向かふ営みが求められてゐると思ふ。以上、本書を読んだ所感を自戒の念もこめて記した次第である。
 今回の新版の刊行はさうした意味でもまさに時宜を得たものであり、裨益する所は実に多い。
 また、新たに加へられた二篇の解題では、葦津の人となりや国家神道研究史が瞭然となり、読み進む上で参考になる。さらに参考文献目録も充実し、参照し易くなってゐる。解題・目録共に秀逸であり、執筆者・作成者に感謝するばかりである。

 

271 頁 / B6判 / 背幅1.4p / ISBN:4-915265-10-2
≪改版履歴≫
平成18年7月8日 新版第一刷発行

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